ANAの意外な事実
問題は残る部分である。
市域の残り半分ではこれまで甲州街道の拡幅や中央高速の建設が行われたが、市街地の整備という点では見るべきものがない。
厳しく言えば、田圃の畔道がそのまま舗装道路になったような屈曲した道路が入り乱れ、都市づくりに何の思いを馳せることもなく、ただ空いている土地に家を建てたとしか思えない市街地が続くのである。
もっともこの点は、多摩の多くの地域が同様なので国立が特別なわけではない。
だが、大学町という都市づくりの好例を身近にもちながら、それを生かし得なかったのは残念である。
国立の街づくりの記録を読むと、Tyが突然現れ、破格の価格で山林の買収にかかり、分譲が必ずしもうまくいかなかったことから、代金の支払いが滞り、地主との間にトラブルがあったことが記されている。
金銭的トラブルがもとで、Tyの都市づくりそのものまで否定されたのかもしれない。
厳しい見方をすれば、地主層にとって、都市づくりとは結局土地を換金する金儲けの機会であり、どのような都市がつくられるかは関心の外であったのだろうか。
だから自分たちが売却した土地に、計画的な住宅地がつくられても、それを自分たちの街づくりの参考にするという発想が浮かばなかったのであろうか。
それは地主ばかりではなく、行政の責任でもある。
考えてみれば、国立大学町が開発された大正末年は、ちょうど日本で都市計画法が制定された時期(一九一九年)にもあたる。
したがって、国立の歴史は日本の近代都市計画の歴史にも等しいのであるが、その間に都市計画の主体である行政がなしたことは、卓越した企業家であったとはいえTyという一個人が都市化の蕊明期に成し遂げたことに比べて、あまりに僅かであった。
Tyは、鉄道誘致の挫折の結果とはいえ住宅地の街路構成としては類を見ない大胆な計画となった大学通りを大いなる遺産として残し、都市に計り知れない価値を与えることになった。
一方で近代都市計画は、Tyの開発の三分の一ほどの区画整理をなし得たに過ぎない。
その原因は、都市計画法制度の無力さに求めるべきなのであろうか、それともそれを運用する自治体の無力さに求められるべきなのであろうか。
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